人生をワクワクで書き換えるWEBライター、horihoriです。
最近、お釈迦様の逸話に触れることがあり、NLP的にどういう見方ができるのかを考えてみました。
お釈迦様は王族の出自ですが、苦しい修行の末に悟りを開き、その後に仏教を開きました。
そして、今もなお多くの人々の心に感銘を与える教えや逸話も多く残っておりますが、今回はその中の一つをご紹介したいと思います。
目次
後生の一大事
お釈迦様が弟子たちと托鉢の旅に出かけていた時のこと。
橋の上で娘が一人、辺りをはばかりながら着物のたもとに石を入れていた。
「身投げをしようとしているに違いない」
そう言うと、お釈迦さまは娘に近寄っていき、事情を尋ねた。
「私には愛している人がいましたが、先日その人に捨てられてしまいました。お腹の中にはその人との間にできた子供もいますが、周囲の人たちにも冷たくあしらわれて、生まれてくる子供の将来のことを考えていると苦しくて仕方がありません。私を哀れに思われたなら、どうかこのまま身投げさせて下さい。」
と、泣き崩れながら娘は訴えかける。
「それは不憫な身の上であるな。ならば例えをもって話そう」
そう、娘を諭しながらお釈迦さまは話し始めた。
ある所に、重たい荷物を積んだ車を引く牛がいた。毎日、朝から晩までなぜこうも苦しい思いをして車を引かねばならぬのか?と牛は思ったのだ。
そしてある時、牛は気がついた。
こんなに苦しい思いをしているのは、車があるからだ。車が無くなったら、きっと楽になれるに違いない…。ならば、車を壊してしまおう!
そう思い立つと牛は車を引いて猛然と走りだし、岩に車をぶつけて粉々に破壊してしまった。
それを見ていた飼い主は大いに驚いた。だが、今までの車は古かったからちょうど買い替えようと思っていた。そして、あんなに凶暴な牛だと今までのような木製の車だとまた壊されてしまうので、だから今度は頑丈な鋼鉄製の車を引かせることにしよう。車も頑丈になるし、荷物もさらに積めるようになってもっと儲けられることだろう!
そう言って、今度は鋼鉄製の車を作ってきて牛に引かせ始めたのだ。
鋼鉄製の車は今までの車の何十倍もの重さと頑丈さで牛を苦しめる。牛は車を壊せばこの苦しみから解放されると思っていたが、また車を壊すことも叶わず後の祭りであった。
そして、お釈迦さまは娘にこう告げられた。
「そなたは肉体を壊せばその苦しみから解放されると思っただろう。だがしかし、自ら命を絶てばもっと恐ろしい苦しみの世界へ足を踏み入れることになり、今までとは比較にならないくらいの苦しみを味わうことになる。そなたはその一大事の後生を知らないのだ。」
娘は自分の愚かな考えを深く後悔し、お釈迦様の教えを真剣に聞き幸せな生涯を生き抜いたのだった。
リフレーミングで思いとどまる
お釈迦様の逸話の中でも有名な話を紹介してみましたが、本来伝えている意味はもっと深いお話です。
しかし、自分がこの逸話を読み感じたことは「短気は損気」であるという、もっと身近に起きていることで感じました。
カッと頭に血が上って乱暴を働く
賭け事にのめり込んで生活費まで使い込む
明日のことも考えずに徹夜で夜遊び、飲酒
…などなど、その他にも色々と数え上げたらキリがありませんが、誰もが経験があるのではないでしょうか?
はい、もちろん自分にもありますよ~(笑)
だけど、一時の感情に身を任せてその行動を起こすと後々自分を身の危険にさらしてしまうかもしれず、それも程度が過ぎたら命の危険にも及ぶやもしれません。
そんな時、NLPにはリフレーミングという方法で気持ちや気分を変えることができます。
例えば、先ほどの話に出てきた牛ならば、自分よりも苦しい立場の者はいるはずで、自分の苦しみはこのままならこれ以上は苦しくなることは無いと考えることもできます。
さもなくば、車を壊すのではなくその場から逃げてしまう選択をすることで、その苦しみから解放されるという選択肢もあったかもしれません。
それに、飼い主は車を壊されたことで新しい鋼鉄製の車を牛に引かせるという選択をしたことで上手にリフレーミングができた、という話を付け加えてみました。
起きた事象も、捉え方(フレーム)を変えてみることで、まったく違う見え方ができるので非常に興味深いですね。
また、おもしろいと感じた逸話や物語などをNLPと絡めてご紹介できたらいいなと考えています。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました!