今から35年前のこの時期に器械体操部を引退しました。最後の大会は鳥取県で開催された「わかとり国体」でした。
最後の大会が終わった時は、父親との約束を果たせた安堵感と引退となる寂しさを感じました。
器械体操の活動期間は、中1から高3まで約6年間。中3で県大会9位までの力がつくと高校でも器械体操部と思いました。
私の出身県では、器械体操が出来る高校は限られ、自宅から通えて指導者がいる高校は1つの高校しかありませんでした。
その高校への通学時間は約1時間30分かかるので、両親を説得する必要があり、認めてもらえる条件は「全国大会に出場」でした。全国大会に出場するには、県大会4位以内だったので9位の私には大丈夫とまでは言い切れないレベルでしたが、私は父親に「全国大会に必ず出る」と言い切り通学を認めてもらいました。
全国大会には高3の時に「石川インターハイ」「わかとり国体」の二つの大会に出場すると事ができました。
高3で目標としていた、インターハイと国体に出場できましたが決して順風満帆ではありませんでした。
全国大会へのチャンスは高2のインターハイ予選(県大会)が最初でしたが、2日間ある大会の2日目の最終種目(種目数は6つ)で他校の先輩に逆転され出場を逃しました。
高1の最後の大会で怪我をして3ヶ月間練習ができない時もありました。
今思えば悔しい時・辛い時であっても、全国大会に出場する思いは常に持ち続けていました。
最後の大会が終わった時の安堵感は、紆余曲折を乗り越え父親との約束を果たせた事のあらわれだったと感じています。
そして寂しさは、高校卒業後は就職が決まっていたので器械体操とはこれで最後との気持ちからでした。
35年経った今、社会人としていろんな課題がありましたが、それらを乗り越えれたパワーの源は、器械体操での経験であるといつも感じています。
そして、今、私の目標はマスターズ体操に出場し自分が満足出来る結果を残す事です。
昨年、ある会合で知り合った方が、マスターズ体操の60歳代のチャンピオンでした。その方と話をするうちに自分ももう一度体操で、、、と夢を持つようになりました。
そして今、NLP(神経言語学的プログラミング)の学びで、望ましい状態への変身となる「成功のMP」を知ることにより、夢から目標に変わり、そして実現できるようにさらに学びを進めている段階です。
この「成功のMP」については、こちらをクリックしてみてください。
???本当にと思われるかもしれませんが、自ら経験してきた、ひとつひとつの事が意味のある事象として感じれる様になり、自分のリソースが、一まわりも二まわりも大きく感じられます。
まずはご確認いただいて、そして実行してみると、たくさんの気づきを感じる事とおもいます。
わくわく感も感じると思います。是非ご確認してみてください。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
( ꈍᴗꈍ)